
白河小峰城(しらかわこみねじょう)は、福島県白河市(旧陸奥国白河郡)に位置する歴史ある日本の城で、小峰城とも呼ばれます。市内にはもう一つの「白川城跡」も存在しますが、地元で「白河城」といえば通常この小峰城を指します。現在、国の史跡に指定されており、「日本百名城」の一つにも選ばれています。
城は阿武隈川と谷津田川の間にある小峰丘陵上に築かれた梯郭式の平山城で、本丸は北端に位置し、南側に二の丸、三の丸が展開しています。外郭には帯曲輪や竹之丸が配置され、巧みな防御構造を形成しています。小峰城は、全面石垣造りであることが大きな特徴で、これは東北地方では珍しく、盛岡城・若松城と並び「東北三名城」に数えられています。
戊辰戦争により多くの建物が焼失しましたが、1991年には本丸御三階櫓が絵図と史料に基づいて木造で復元され、日本での城郭復元事業の先駆けともなりました。しかし、2011年の東日本大震災で石垣が崩れ、一時的に本丸エリアが閉鎖されましたが、2015年に修復が完了し、復興式典も行われました。
また、白河市では2020年に「小峰城一石城主プロジェクト」を始動し、本丸正面の清水門の再建を目指しています。
伝説:「乙女桜(おとめざくら)」の物語
小峰城にまつわる最も有名な伝説が、「乙女桜」の話です。寛永年間の大改修時、本丸の石垣が何度も崩れてしまい、地盤を安定させるために「人柱」を立てることが決定されました。その際、「その日最初に城内に入った者を人柱にする」との約束が交わされました。
しかし、最初に城門をくぐったのは、工事責任者である奉行・知半三郎の娘、乙女でした。父は必死に手振りで娘を止めようとしましたが、娘はそれを「早く来い」という合図と勘違いして進み、石垣の下に人柱として生き埋めにされてしまいました。
石垣はその後無事に完成し、乙女が埋葬された場所には桜の木が植えられ、彼女を偲ぶ「乙女桜」と呼ばれました。現在三重櫓のそばにある桜は二代目で、初代の桜は戊辰戦争の戦火で焼失しました。
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