龍安寺は、京都市右京区龍安寺御陵ノ下町に位置する、臨済宗妙心寺派の重要な禅寺であり、大本山妙心寺の境外塔頭にあたる。山号は大雲山、本尊は釈迦如来。室町時代中期、名将・細川勝元によって創建され、開山は義天玄承である。龍安寺は、その象徴的な枯山水石庭で世界的に知られ、日本禅美学の典型とされている。また、「古都京都の文化財」としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。

この地は平安時代、円融天皇が祈願のために建立した円融寺の旧跡であり、後に荒廃して徳大寺家の別荘となった。宝徳2年(1450年)、細川勝元がこの地を得て龍安寺を創建し、妙心寺系の新寺院とした。「龍安」という寺名には、吉祥と守護の意が込められている。創建直後、日本は応仁の乱に突入し、勝元が東軍の総大将を務めたこともあり、寺は戦火で焼失した。その後、子の細川政元が長享2年(1488年)に再建し、住持・特芳禅傑のもとで再興された。以後、織田信長や豊臣秀吉らの寄進により寺勢は再び隆盛し、江戸時代には「鏡容池」を中心とする優美な庭園が京都の名勝として知られた。池は鴛鴦の飛来地としても名高く、四季折々の景観が人々を魅了した。

しかし、龍安寺は幾度も火災や天災に見舞われ、寛政年間の大火では仏殿や方丈、開山堂など主要伽藍を焼失した。現在の方丈は西源院の方丈を移築したもので、内部にはかつて狩野派による九十面の襖絵があったが、明治初期の廃仏毀釈運動で多くが海外に流出した。後年、アメリカや日本のコレクターから《群仙図》《琴棋書画図》《芭蕉図》などの作品が買い戻され、再び寺内で公開されている。

龍安寺の象徴ともいえるのが方丈前の石庭である。幅約25メートル、奥行約10メートルの白砂庭で、十五の石が配置された枯山水式庭園である。白砂は海原を、石は島や山峰を象徴し、五・二・三・二・三の群に分かれて配置される。作庭者は室町時代末期の禅僧・特芳禅傑と伝えられるが、詳細は不明である。この庭の構成や禅的理念は古来より多くの解釈を生んできた。虎が子をくわえて川を渡る「虎子渡し」を象徴する説や、「七五三の庭」として吉祥と自然調和を表す説などがある。どの角度から見ても必ず一石が視界から隠れるよう設計されており、これは「不完全の美」すなわち禅の「不尽の美」の思想を体現している。

庭の周囲は低い土塀で囲まれ、菜種油を混ぜた土で塗り固められており、長い年月の風化によって柔らかな褐色を帯び、白砂や灰石と微妙な対比をなす。方丈は木造で、内部には畳敷と簡素な襖絵があり、禅寺らしい静寂と簡素の精神を表している。庭の一隅には「吾唯足知(われただたるをしる)」と刻まれた手水鉢があり、中央の方形の穴を囲むように四文字が配置されている。これは「知足常楽」を意味し、禅の思想「足るを知る」を象徴している。

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