鹿港新祖宮(ろっこうしんそぐう)は、正式名称を「勅建天后宮(ちょくけんてんごうきゅう)」といい、台湾・彰化県鹿港鎮に位置する媽祖(まそ)を主神とする寺廟です。清の乾隆53年(1788年)に創建され、現在は彰化県指定古跡となっています。この廟は、清朝皇帝の勅命によって官費で建立された台湾唯一の媽祖廟であり、入口には「文武官員至此下馬(文官・武官ここで下馬)」と刻まれた石碑が立っています。
新祖宮の創建は、林爽文の乱(1786年)と関係しています。乱が勃発すると、乾隆帝は陝甘総督の福康安(フーカンガン)と参賛大臣の海蘭察(ハイランチャ)を鹿港に派遣し、反乱を平定しました。その成功を媽祖の加護と信じた乾隆帝は、福康安に命じて鹿港に媽祖廟を建立させ、媽祖に以下の長い封号を授けました:
「護国庇民妙靈昭應宏仁普濟福佑群生誠感咸孚顯神贊順天后」。
すでに鹿港には媽祖を祀る天后宮(旧祖宮)があったため、新しい廟は「新祖宮(新たな祖廟)」と呼ばれるようになり、既存の廟は「旧祖宮」と称されるようになりました。また、鹿港にはそれ以前に創建された興安宮も存在します。
新祖宮は嘉慶11年(1806年)と道光14年(1834年)に改修され、日本統治時代には戦火で損傷し、1970年に再建されました。特徴的なのは、「軟身媽(やわらかい身体の媽祖像)」を本尊とすることです。頭部・手・首は木彫りで、胴体は籐編みになっており、手足の可動や衣装の交換が可能です。脇侍である千里眼と順風耳は清代の官服をまとい、官廟としての格式を示しています。清代には、毎月交代で官員が参拝を行っていました。
また、廟内には複数の歴史碑文が保存されており、例えば「乾隆53年の勅建碑記」、「乾隆57年の田産碑記」、「嘉慶11年の修復碑記」、「道光14年の修復碑記」などがあり、これらはまとめて「新宮読碑」と呼ばれ、「鹿港八景」の一つにも数えられています。正殿には「后徳則天(皇后の徳は天に等し)」という扁額が掲げられており、福康安によるもので、歴史的価値を高めています。