府内城(ふないじょう、別名:大分城・荷揚城・白雉城)は大分市中心部に位置する歴史的に重要な平山城です。この城は安土桃山時代後期に府内に入った福原直高によって築かれ始め、その後、関ヶ原の戦いの後に竹中重利によって完成されました。府内城は「海城」の一例でもあり、当時九州に入った多くの大名と同様に臨海の地に居城を構えることで、防御の利点に加え、海上交通の掌握にも有利でした。
江戸時代には府内藩の政庁が置かれましたが、明治維新後には多くの建物が破却され、わずかな遺構だけが残りました。第二次世界大戦中の大分空襲では一部の櫓や大手門が焼失しました。現在、府内城跡は「大分城址公園」として整備され、石垣・土塀・水堀が残り、人質櫓や宗門櫓など一部の櫓が現存し、大分県指定史跡となっています。
近年、大分市は府内城の復元と再利用を積極的に進めており、一部の櫓や大手門、廊下橋が木造で復元されました。三の丸跡地には大分県庁と大分市役所が建設され、城跡は歴史と現代行政が共存する場所となっています。また、市は将来的な天守閣再建計画を検討しており、まだ確定はしていませんが、仮設の金属骨組みやライトアップによって天守の輪郭を再現し、夜間には光のショーが行われ、市民や観光客を魅了しています。
今日の大分城址公園は市民の憩いの場であると同時に、大分市の重要な文化的シンボルです。石垣や堀は今も城郭の雄大さを示し、復元された建物は往時の壮麗な姿を想像させます。
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