六義園は、東京都文京区本駒込に位置する代表的な「回遊式築山泉水庭園」であり、歩きながら四季折々に変化する景観を楽しむことができる大名庭園である。その詩的な造園構想と優雅な和歌的情趣で知られ、国の特別名勝に指定されている。東京都内に現存する歴史的名園の中でも、最も代表的なものの一つとされる。

この地は江戸初期、武蔵野の原野の一部であり、水が豊かで樹木が生い茂る自然環境に恵まれていた。当時の江戸城は「御曲輪内」(現在の皇居と外堀周辺)にあり、文京一帯は「御曲輪外」の郊外地であった。江戸の発展と人口増加に伴い、武家屋敷は徐々に外縁部へ拡大し、文京区は大名や旗本の別邸地として人気を集めた。特に明暦の大火(1657年)や天和の大火(1683年)後の都市再建によって、外郭地域の開発が進み、後の六義園誕生の地理的基盤が形成された。

六義園を築いたのは、徳川五代将軍・綱吉の側用人であった柳沢吉保(出羽守保明)である。元禄8年(1695年)、吉保は幕府から染井村に約4万5千坪(約15万平方メートル)の土地を拝領し、ここに自身の下屋敷と庭園を造営した。園名の「六義」は中国の古典『詩経』に由来し、「賦・比・興・風・雅・頌」という六種の詩の形式を指すもので、吉保の文学的素養と美意識を象徴している。

六義園は、それ以前の「枯山水」や「書院造庭園」とは異なり、「遊賞」を主題とした自然主義的な景観庭園として江戸時代の美意識の革新を示すものであった。吉保は『万葉集』や『古今和歌集』に登場する詩的な名所をもとに、紀州・和歌の浦の風景を手本として築山・渓流・大泉水を配置し、園内には八十八の景勝地を設け、それぞれに古典和歌に因んだ名を付けた。「詩をもって景に入り、景をもって詩に入る」という理念を体現した庭園である。中央の大泉水を中心に小島や橋、築山が配され、遊歩道を巡りながら多様な角度から四季の風景を楽しむことができる。

元禄文化の隆盛期に誕生した六義園は、中期江戸武士階層の優雅な生活と高い文化的教養を象徴する存在となった。吉保は文人や絵師を招き、園内で詩歌を詠み、月を愛で、宴を催すなど、政治と文化が交錯する場を築いた。「六義」という名には詩道の精神のみならず、自然と文学の融合という意味も込められており、まさに自然が筆となった長詩のような庭園である。

明治時代に入ると、六義園は三菱財閥の創始者・岩崎彌太郎の所有となり、1938年には岩崎家から東京府(現・東京都)に寄贈され、都立庭園として一般公開された。現在では春のしだれ桜と秋の紅葉が特に有名で、とりわけ夜間ライトアップされた巨大なしだれ桜は多くの観光客や写真家を魅了している。園内には伝統的な茶屋「吹上茶屋」があり、抹茶を味わいながら池や築山を眺め、江戸名園の優雅な趣を楽しむことができる。

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