
四結福徳廟(スージエ・フードー・ミャオ)は、台湾・宜蘭県に位置する、地域で長い歴史を持つ重要な信仰の拠点です。その歴史は清朝・光緒元年(1875年)まで遡ることができます。創建当初、廟は東を背にして西を向いており、正面には蘭陽渓へと流れる小川がありました。しかし、その後の土砂の堆積により川は農地へと変わり、現在の田園風景が形成されました。廟の背後にある地域はタロイモの産地として知られ、「芋仔園溝(ユイズユエングー)」や「溪底溝(シーディーグー)」という名で呼ばれ、農業と信仰が密接に結びついていることを物語っています。
1990年、地元の信者たちは風水の観点から、廟の向きを東向きに変えることでより多くの加護が得られると考え、再建と方位の変更を決定しました。2年後の1992年、新たな前殿が完成し、当時の宜蘭県長・游錫堃(ヨウ・シークン)氏が自ら本殿の土地公(土地神)に官帽(役人の帽子)を被せ、神威と尊厳を象徴しました。
四結福徳廟で毎年最も特徴的な行事の一つが、旧暦2月2日に行われる「過金火(グォジンフォー)」の儀式です。黒い令旗の導きで、神轎(神輿)はまず廟の周囲を一周し、その後、廟前の広場を三周します。この一連の動作を三回繰り返すことで、「良いことは一度あれば二度ある」、「二度あれば三度ある」、「三度なければ礼にならない」という意味が込められており、地元の文化と信仰が融合した具体的な表れです。
1967年、地元の名士である陳阿爐(チェン・アルー)氏と鄭贊旺(ジェン・ザンワン)氏らの働きかけにより、「土地公會(トゥディゴンホェイ)」が設立されました。会員は地元の農民が中心で、毎年、擲筊(ブアベイ)による儀式でその年の頭家(行事の主催者)と炉主(香炉の管理者)を決定し、旧暦2月2日と4月26日に祭典を行い、地域の信仰文化と団結の精神を受け継いでいます。