藤沢市

藤沢市(ふじさわし)は、神奈川県の東南部に位置し、湘南地域の最東端にあり、横浜地域や横須賀三浦地域と接している。1940年(昭和15年)10月1日に市制が施行された。保健所政令市として指定され、住宅、観光、産業、文教が融合した都市であり、景観行政団体でもある。全国的に有名な江の島、片瀬・鵠沼・辻堂海岸を擁し、観光都市としての側面も持つ。温暖で穏やかな気候を求める人々やサーフィンなどのマリンスポーツ愛好者、自然・住環境・教育環境の良さを求める人々により、第二次世界大戦以前から人口は増加傾向にある。

神奈川県内では湘南に分類されるが、東京・横浜のベッドタウンとしての性格が強い。JR、私鉄(小田急・相鉄・江ノ電)、地下鉄(横浜市営地下鉄)、モノレール(湘南モノレール)などの交通機関が整っており、交通利便性が高い。このため、湘南エリアの中でも海から離れた内陸部の人口比率が高く、人口は約44万人に達している。

江戸時代には、鎌倉仏教の一派である時宗の総本山・清浄光寺(遊行寺)の門前町として栄え、東海道の6番目の宿場町である藤沢宿や、江ノ島参詣の足場として発展した。その様子は歌川広重の『東海道五十三次』にも描かれている。

明治時代から第二次世界大戦までの間、温暖な気候により、南部の鵠沼・片瀬地区は日本初の計画的別荘地として開発された。大正時代以降は皇族や政治家、多くの学者や文化人が移り住み、別荘地・保養地・避暑地として発展し、芥川龍之介、武者小路実篤、岸田劉生などが創作活動を行った。戦時中には、艦船や地上基地のレーダー技術者を養成する海軍電測学校が開設され、航空用電波兵器や光学兵器の整備訓練を行う藤沢海軍航空隊も設立された。

戦後は東京のベッドタウン化が進み、人口が急増。藤沢駅周辺にはJR(東海道線〈湘南新宿ライン・上野東京ライン〉)、小田急(江ノ島線)、江ノ電の3路線が集まり、商業施設も集中している。慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)をはじめ、湘南工科大学、多摩大学、日本大学の湘南キャンパスなどが所在し、文教都市としての性格も強い。1951年に「藤沢市展」が始まり、1973年には全国初の市民オペラ「藤沢市民オペラ」が開催され、1992年には「藤沢オペラコンクール」もスタートし、若手オペラ歌手の登竜門として位置づけられている。博物館や美術館の名称を持つ施設はないが、1974年開設の藤沢市文書館、湘南台文化センター子ども館、2016年開設の藤澤浮世絵館などがあり、博物館的性格の施設としては交通展示館(県営)やいすゞプラザ(民営)がある。

市南部の鵠沼海岸は古くから海水浴場として知られ、現在は片瀬西浜・鵠沼海水浴場として年間300万人以上が訪れる国内有数の海水浴場となっている。片瀬東浜海水浴場では明治初期から外国人による海水浴が行われていた伝統がある。江の島は源頼朝の祈願によって江ノ島弁財天が祀られた地で、1964年の東京オリンピックではヨット競技の会場(湘南港)に、2021年の東京オリンピックでもセーリング競技の会場となった。現在も年間約1,200万人が訪れる湘南を代表する観光地である。片瀬・鵠沼・辻堂海岸、江の島の沿岸部ではヨット、サーフィン、ボードセーリング、ビーチバレー、釣り、新江ノ島水族館などを楽しめる一大マリンリゾートであり、姉妹都市であるアメリカ・フロリダ州のマイアミビーチにちなんで「東洋のマイアミビーチ」と呼ばれることもある。

市北部は湘南台を中心とする地域で、湘南台駅には小田急江ノ島線、相鉄いずみ野線、横浜市営地下鉄ブルーラインの3路線が乗り入れており、交通の利便性から乗換駅として、また慶應義塾大学SFCの玄関口として発展している。いすゞ自動車のマザー工場である藤沢工場などの大規模製造工場も集積しており、藤沢市の製造業は神奈川県内で横浜市、川崎市に次いで第3位の出荷額を誇っている。

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